この街にも、春が来た。

雪はその姿を消し、吹く風も暖かくなった。

桜の木にも花が咲く、そんな季節になった。

学校の中庭も、以前とは全く別の場所へと様変わりした。

緑に覆われ、生徒達がベンチに座って昼食を取る、そんな風景が日常となった。



ごく当たり前のように時は経ち、ごく当たり前のように季節は移り変わる。





…なぁ、栞。

お前が待ちわびていた春は、こんなにも綺麗で、こんなにも暖かいよ。

お前の笑顔と同じくらい、春の日差しは、暖かいよ。



でも俺は、この春の暖かさを手に入れると同時に、お前の笑顔の暖かさは、永遠に失ってしまったんだな。


こんなことなら、ずっと春なんて来なくてよかったのに。


ずっと、お前のいた、あの雪の降る季節のままで、よかったのに。








             桜と木漏れ日










春になったからって、俺の生活が極端に変わることなんてあり得ない。

毎朝名雪を起こして、急いで朝食を食べ、遅刻しそうになって学校まで走って登校する。


今までと何ら変わりのない、いつもの生活だ。


学校に行けば勉強もするし、昼食も食べる。


何も変わってはいない。


ただ、窓から外を見ることだけはしなくなった。

それも当然だ、席替えがあって、俺は教師の目の前に席になったのだから。


いや、『なった』じゃないな。自分から希望した席だ。


窓際の席だけは嫌だったんだ。



…お前の、暖かい笑顔を思い出すから。






「何してるの?こんな所で」


昼休み、昼食を学食で済ませた後、俺はなんとはなしに中庭に来ていた。
そこに、後ろから俺に掛けられる声。

「別に…。随分様変わりしたな、と思ってな」

「前にも言ったでしょう?春になれば、生徒達で賑わう場所になるって」

「…そうだったな」

そう言った後、二人ともしばらく無言になる。

春を感じさせる、暖かな風が通り過ぎた。




「…隣、いい?」

香里が声を掛けてくる。

俺は無言で頷くと、隣に場所を空けた。


そうして、二人並んで中庭を眺める。


「…春ね」

「…そうだな」

「日差しが気持ちいいわ…」

「そう言う割にはあんまり気持ち良さそうにはしてないよな」

「そうね、そういう気分じゃないのよ」

「そうか」

「ええ」




桜の花びらが舞う中庭のベンチでは、楽しそうに生徒たちが弁当を広げている。

皆、一様に笑顔で、少し遅い春の到来を心から楽しんでいる。



…俺だって、笑いたかったよ。

笑って春を迎えるはずだったんだ。

桜の木の下で、栞の作ってきた弁当を広げて。

相変わらず半端ない量で、俺が悲鳴を上げて。

それでも栞は無理矢理食べさせようとして。

ふいに目に入った桜を二人で見て。

そして、二人、笑う。

そうなるはず…。少なくとも、俺はそれを望んでいたんだ。


でも、それは叶うことはなくて。




栞がいなくなって、こうして一人でいると、改めて感じる。

それは、悲しみでも、絶望でもなくて、


圧倒的な喪失感。


俺はこれからどうやって生きていくのか。

俺は何の為に生きてるのか。


「なぁ…」

独り言でも言うかのように、香里に話し掛ける。


「俺の生きてる意味って、何なんだろうな」

「知らないわ」

「即答かよ、冷てぇな」

「そういうこと言う人には何を言っても無駄だもの」

冷静に分析する香里に、苦笑してしまう。


「そうだな」

「それに…、私にそんな事を聞くなんて、ちょっと酷いわよ」

「そうだな、すまん」


そうしてまた二人とも、沈黙する。





そうしているうちに昼休みも残り僅かとなった。

「さて…そろそろ教室に戻らないとな」

「そうね」


そうして俺は教室へ戻ろうと立ち上がった。


「ねえ、相沢君」


唐突に、香里の声。


「栞は…もういないわ」

「なんだよ、いきなり」

一番触れて欲しくない話題だ。俺にとって、そして…香里にとっても。


「もういなくなってしまった栞に…私達は何が出来ると思う?」

「それが分からないから聞いたんだけどな」


それが分かっていれば、こうしていじけることもないだろうに。


「何もないのよ。私達が出来ることなんて。出来る事と言えば、忘れずに覚えているか、忘れるか。その2択よ」

香里のあまりの言葉に、思わずカッとする。

「よくそんなことが言えるな」

努めて冷静に言ったつもりだったが、少々声が震えている。


「よくそんなに簡単に割り切れるな」


それでも、怒りに任せて手を上げなかっただけでも俺にしてはよくできた方だ。


「…簡単?」

そんな俺の言葉に、香里も怒りを見せる。


「簡単に結論を出したと思ってるの?相沢君だって何も出来ないでいるじゃない!?私だってずっと考えてた。
でも、ないのよ!あの子の為にしてあげられることなんて!」

「・・・・・・・・・。」


「忘れなかったらあの子の為になるの!?そんなの、自己満足よ!自分を慰めるだけで、何も変わらないわ。
だから、私達に出来ることなんて、ないのよ」



香里の言葉は、残酷に俺の心を抉った。
そう、なのかも知れない。
出来ることなんて、ないかもしれない。

でも…


「何かあるかもしれない。俺は、それを考えなきゃいけない。途中でそれを放棄するわけにはいかないんだ…」


驚いたような表情で俺を見る香里。

そして、ふいにふっと笑った。

泣き笑いみたいな笑顔だった。


そうだよな、香里も分かってるんだよな。

何もせずに諦めるなんて、香里が、あんなに妹を大切に思っていた香里が出来るはずがない。


「相沢君は…強いね」

「どこが」

「答えがあるか分からない問題を考えるのって、辛いわ。それを知っても止めないのは、それは、強さだと思う。
…そうね。まだ結論を出すのは早いのかな…。私達には、時間が残されてるんだから」


「そうだな」


そう言って、二人、笑う。


その笑顔がどんな種類のものであっても。

例え寂しいものだとしても。

俺は久々に笑うことが出来た。

それに、少しホッとしたんだ。



何か、香里に気付かせてもらったみたいでシャクだけれど。

そうだよな。これから俺にどれだけの時間が残されてるかは分からないけど、その時間を費やして考え続けよう。


答えは、もしかしたら出ないかもしれないけど、それでも考え続けよう。


それが、今の俺に唯一出来る事だろうから。









数日後。


俺は、栞の墓参りに出掛けた。


真新しい墓石。

ここに栞はいる。

でも、いまいち実感がわかないのも確かだ。

ついこの間まで、栞は元気に走り回って、色んな表情を見せてくれて、そして、


俺の側にいた。


それが、今はこの石です、と言われても、はいそうですかとは言えない。

なんだかんだで、俺はまだ、認めたくないのかもしれないな。


取り敢えず、汚れてもいない墓石を掃除して、花を交換して、供え物のアイスを置く。

もう大分暖かくなってきたから、すぐに溶けてしまうかもしれない。


そうなると、墓地の掃除をしている人は大変だな。

悪い、とは思うが、栞の一番好きなものだったから、許して欲しい。

あと、おまけで一味唐辛子も一緒に添えてみた。

栞の膨れる顔が目に浮かぶようで、少し笑ってしまう。


やることを全て終え、線香に火をつけて、墓の前に座る。


「ったくよ、好きな人の墓に参るなんて、ジジイになってからで十分だってのによ…。なぁ?栞」


石に向かって話しかける。誰もいやしないのに。

でも、周りから「栞はここにいる」と言われれば、少し救われた気もするのだから笑ってしまう。


「俺は…まぁ、そこそこに元気だな。特に変わったこともなく、やってるよ。お前は…えらく環境変わっただろうなぁ」


自分の言葉ながら、アホかと突っ込みたくなるような会話だ。いや、独り言か。


「まぁ、いいや。それで、今日はちょっと、栞に話しておきたいことがあってな…」


そこで、一旦息を吸いこむ。栞は、俺の言葉を聞いてるんだから。だから、しっかりと告げなきゃいけないから。


「ずっとな…考えていたんだ。俺は栞に何ができるのか。…ん?何してくれんのかって?いや〜はは…。
結局考えつかないままでな…。はは、そうだよな、何の解決にもなってないよな…。だから、さ。
思いつくまで、ずっと考え続けるよ。そして、とびきり栞が喜びそうなことするからさ…。それまで待っててくれるか?
え?そう言って最後までやらない気じゃないかって?痛いとこ突くなお前は…。まぁ、もしそうなったらさ、俺が
そっち行った時、思いっきり怒っていいから…」


そう、何もまだ出来ちゃいない。ごめんな、栞。


「だから取り敢えずは、一生懸命考えるってことで許してくれるか?栞」




返事はない。

あるはずが、ない。




その時、急に風が吹いて、俺の周りが影に覆われた。

それは、桜の木が揺れたからで。

俺はその桜を仰ぎ見た。

日の光を浴びて麗らかに揺れるその花弁。

その桜の隙間から零れ落ちる光が俺の目に入って。

暖かい、そして、優しい光が俺の中に入ってきて。

俺は、その光に一人の少女の微笑みを重ねて。






気付けば、俺は泣いていた。



栞がいなくなってしまった時でも流れることがなかった涙がこぼれた。

ああ、栞は、本当に、俺の前からいなくなってしまったんだな。

あの笑顔を見ることは、本当に、二度とないんだな。


今更ながらに強く感じて。

やっと、この時になって、俺は愛する人を失った悲しみを噛み締めた。


頭では理解していたけど、心では絶対に拒否していた事実。


それを、ようやっと受け入れて、俺は誰もいない墓地で号泣した。






用意していた線香などの残りを片付けて、俺は立ち上がった。


「じゃあ栞、そろそろ行くわ。次来る時までに何か考えついてるといいんだけどな」

そう言って、笑う。


そして、墓石に背を向ける。



『期待して待ってますよ、祐一さん♪』



思わず振り返る。

そこには当然だが、何もない。



…幻聴だったのかもしれない。



でも、それでもいい。

幻聴だろうがなんだろうが、栞が待っていてくれるのなら、俺は絶対にそれに応えてやらなくちゃいけない。



ごめんな、栞。


俺は、栞のために出来ることがないなら、俺の生きる意味なんてない。

生きる意味がないなら、生きてても仕方ない、栞のところに行った方がいい、なんて、ちょっと前までは考えてたよ。



でも、俺は生きて行こうと思う。


栞のためにも、俺のためにも。





俺にはまだやらなきゃいけないことがあるって分かったから。











俺は、空を見上げた。




雲一つない青空に、桜の花弁が舞っていた。










                                   Fin









後書き

ペペ「どうも、ペペです。ちょっと暗い話だったかもしれませんがどうでしたでしょうか?怒らないでくれたら嬉しいです。
   最後とか、なんかくどくなってしまったり、イマイチ納得できない終わり方となってしまいましたが…」

栞「ペペさん…ネタがないからってとうとう私を殺りましたね〜…(怒)」

ペペ「あわわ(汗)いや、栞、君は死んでなどいない!!私が文中で『死』と言う言葉を一度でも使ったか!?」

栞「そう言えばそうですね…って、そんな言葉に騙されるとでも思ったんですかっ!この期に及んでいい訳とは、
  恥を知れです!」

ペペ「あわわわ(泣)ちなみに今回はちょっと私自身、『死』については考えさせられました。結局結論は出なかったんで
   ああいう終わり方になってしまったんですが。香里が文中で言う言葉、私もそうだなぁと思ったりするんです。
   でも、それはちょっと悲しい。だったら何が私達に出来るんだろう、と考えて。取り敢えず、の答えを出してみた
   んですが。ほんとに取り敢えず、だよなぁ。でも、ずっと忘れずに思い続けることも、全て忘れて新しい自分として
   生きて行く事も、私としてはどちらも同じ位、悲しいことじゃないかな、と思った次第で」

栞「話を逸らさないで下さい!そんな半端な気持ちで書くからだらだらウザい文になっちゃうんですよっ!!
  私の青春を返せです〜っ!!」

ペペ「あわわわわ〜(泣)」