人には誰にでも、守るべきものが存在する。

それは、家族であったり、恋人であったり、はたまた自身のプライドであったり、何か大切な物だったり。



重要な事は、それらはその人自身になくてはならないものであり、その人間の根幹に深く関わるものであるということだ。



では、それを失ってしまった人間はその先、どうすれば良いのだろう?


絶望し、生きる気力すら失うほどの傷を負った者は、死することを許されるのか。



否。



ヒトは、生きて行かねばならない。



それが、母より生まれ出でたるその瞬間からの、『業』、なの、だから。





                                ARCANA
                                第9話     逡巡





浮かび上がる名雪の笑顔。

それが段々と秋子さんの、あの悲しげな笑顔へと変わり、そして突如として現れた赤い光にかき消される。

その後に残されたのは、燃え盛る家と、瓦礫と、たくさんの死体。

そしてその中心には、残忍な笑みを浮かべた…

自分。

その自分自身は家の中へと足を踏み入れ、何かを探してさまよっている。

そしてようやくその何かを見つけた自分は、その笑みを一層残忍にしていつの間にか手にしていた凶器を…



「やめろっ!!」

大きな声をあげた祐一は、自分の声で目が覚めた。

周りを見て、自宅の部屋であることを確認すると、一つ大きな溜息をついた。


ここ数日、全く同じ夢を見るのだ。
そして、毎朝毎朝、自分の声で目を覚ます。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

しばらく黙っていた祐一だったが、ふぅ、とまた一つ、今度は小さな溜息をつくと、ベッドから起き上がった。


数日前のあの事件の後、戻ってきた祐一に告げられたのは2週間の自宅謹慎だった。
香里は祐一の顔を一瞥して事の顛末を理解したようだったが、何も祐一には声を掛けなかった。


人事担当から言われるまま、謹慎を受け入れ、自宅へと帰った祐一だったが、弁明の機会は与えられなかった。
元より、弁明などする気もなかったが。

謹慎は2週間だという事だったが、もっと長くてもいい、と祐一は考えていた。

と、言うより、祐一の頭の中では、軍を除隊するか、というところまでいっていた。



洗面所で顔を洗っていると、誰かから声を掛けられた。

「早いんですね、まだ朝の5時ですよ?」

「習慣でな。この時間には目が覚めちまうんだよ。お前こそ早いじゃないか、美汐」

祐一に美汐と呼ばれた少女は、少しはにかんだ笑みを見せながら答えた。

「私は朝食の準備がありますから。相沢さんに似たのか、あの子も結構早起きですからね」

なるほど、確かに美汐は割烹着を身につけており、いかにもこれから料理をしますといった姿だ。

歳に似合わず割烹着姿が堂に入っている辺り、今日が特別の事、というわけではないらしい。

「悪いな。俺がいない間、真琴が迷惑かけたんじゃないか?」

祐一は軍に入った頃から、この市営のコンドミニアムで真琴という身元不明の少女と生活している。

美汐はいわゆるお隣さん、なわけだが、基地に泊まりこみになる事が多く真琴が一人になりがちな祐一達を
何かと気遣ってくれる。

ほとんど家族のような付き合いだ。

「いえ、私も一人は寂しいですから。あの子がいてくれて助かります」

そう言って微笑む美汐。
その笑顔には割烹着姿には似つかわしくない、年齢相応の華やかさがあった。

(笑顔といえば、名雪の笑顔はこっちまで幸せになれるくらいの…)

そう考えかけて祐一は頭を振った。

(いかんな…。何でも名雪に結びつけて考えてたらきりがない…)

そう思いながら、自分に苦笑する。

「あの、どうかなさいました?」

我に帰って美汐を見ると、心配そうな顔をしている。

「あぁいや、なんでもない。ちなみに今日の朝ご飯、何なんだ?」

「え?今日ですか?ええと、大した物じゃなくて、ご飯とお味噌汁に…」

そう言って今日の献立を語る美汐を見ながら、やはり、祐一は気持ちが沈んで行くのを止められずにいた。

「…うんですけど、どうします?」

唐突に美汐の言葉が切れた。

「え?あ、悪い。もう一回」

「もう、聞いてなかったんですね?今日、すぐ近くの広場で何かのショーがあるらしいんです。真琴が行きたいと
言ってましたから、私は行こうと思うんですけど、相沢さんも御一緒にどうかなって」

「あ、あぁ、そういうことか」


正直、そんな気分ではなかった。
何かで気分が晴れるとはとても思えなかった。

だが。

「O.K.俺も行くよ。何時からだ?」

それを聞いて喜ぶ美汐。

(これくらいで喜んでくれるならな)

その程度しかできないとしても、いや、できないならばなおさら、自分に出来ることは全てしてやるべきだ。

そう思ったのだ。

(元々、何も出来ない奴なんだからな。出来る事があるだけマシだ)

…そう、思ったのだ。





朝食を終え、自室に戻る。
真琴は美汐の家で遊ぶらしい。


ショーの始まる時間は午後1時。

まだ時間はある。

祐一はソファーにどっかりと腰を下ろすと、そのまま背もたれにもたれかかった。

天井を見上げながら、漠然と今後の事を考える。


(辞めるか、パイロット)

それが一番だ、と思う。
もうあんな思いはしたくない。
だが…。




(大体俺が軍に入ろうと思ったきっかけっていや…)




祐一が軍隊に入ると親に告げた日。
その日の事は今でも鮮明に覚えている。

そう、それは、祐一が入隊資格を満たす年齢となった、15歳の冬のことだ。





「軍に入るってお前、まだジュニアスクールを卒業したばかりじゃないか。なにも焦って将来を決める事はないだろう」

父はそう言って引止めようとした。

「軍隊に入ったら、いつ死ぬかも分からないのよ?そんなことになったら母さん…」

母はそう言って泣いた。

それでも入隊する決意を曲げなかったのはそれなりの理由があったからだ。

「俺、何かあった時に誰も守れなかった、なんて嫌なんだ。大切な人をみすみす失いたくない。でも、守るためには
力がいる。軍に入るってのは、安直かもしれないけど、力を得る近道には間違いないと思うんだ」

そう言って、結局両親を根負けさせて入隊した…。





「だけど、結局守れなかった…」

それなりに努力はしたつもりだったし、遂には欲しかった力も手に入れた。
…アルカナという最強の力。

それでも大切な人は守り切れなかった。

守り切れたと思った瞬間、それは両の掌から零れ落ちて行った。

それは、自分の力の求め方が、間違っていたのかもしれない、と祐一は思う。

ならば、軍はもうすでに祐一にとって、必要なものではないのだ。

だから、除隊。



「それでいい……のか……?」










広場は大道芸人たちのショーで、かなりの人だかりが出来ていた。

「あう!美汐、あれ!あれ見に行こうよ!!」

「あぁもう真琴、引っ張らないで下さい…。あ、相沢さん、ちょっと見てきますから…」

言い終える前に真琴に引きずられ、人込みの中へと消えて行く美汐。

その光景は本当に微笑ましく、こっちまで幸せな気分になれる。
美汐や真琴がいてくれてよかったと思う。

「さて、せっかくだし俺も何か見てくか…」

そう言いながら歩き出したものの、さすがに人込みの中に入っていく気にはなれない。

と、一つだけほとんど客のいないスペースを見つけた。

まぁ、客がいない、という事は面白くないのだろうが、

「まぁ時間つぶしにはなるか」

そう言って、祐一はそのスペースへと足を向けた。


そこで行われていたのは人形劇。

と言っても、やっている人間がユーモアのない奴なのか、それとも技術がないのか。



その人形はただ歩いているだけだった。



「わ〜すごいすごい!人形が歩くなんて〜!」

客とおぼしき少女が歓声をあげるが、その少女、あまりにわざとらし過ぎて、サクラであることがバレバレである。

「わ〜今度は宙返りした〜!すごい!すごいね〜往人さん!」

「わ、バカ、お前はこの辺のガキなの、俺の名前なんか知らないの!!ってさっきから言ってるだろーが!!」


なんとも微笑ましい限りだ。

だが、見ているうちに祐一はその人形の芸に惹きこまれた。

こういう場合、オーソドックスなのは糸で吊っているというのがタネなのだが、男の操り方を見ていると
上から、もしくは横から糸で操っているとは思えない。

当然下からはない。電動、という手もあるがあんなくたびれた人形にそんな機能があるとも思えない。

見れば見るほど不思議なのだ。

結局、ショーが終わるまで見続けてしまった。

大道芸人たちが片付けを始めた時、祐一は思いきってその男に聞いてみた。


「なぁ、さっきの芸、どんなタネなんだ?」

すると、さっきの男が振り向いた。
やたら目つきの悪い奴だった。

「ああん?お前見てたのかよ?じゃ、金」

身もフタもない言い方である。

「金渡したら教えてくれんのか?」

「教えねーよ。つーかお前マジックの意味分かってんのか?」

「手品だろ?いや、誰にも言わないからさ」

「馬鹿者。もう一つの意味だ」

「もう一つ…って」

「マジックとは魔法のことだろ!?魔法にタネやら仕掛けやらあるわけねー!そういうこった」

「またそんな子供だましな…」

そう言う祐一をジロリと見ると、男は続けた。

「あんたは大人なんだな」

「残念ながらな」

「全くだ。大人になんてなるもんじゃねーのによ。その歳で大人になっちまうなんざ…。カッコ悪ぃーな」

カッコ悪ぃにカチンと来た祐一。

「何がカッコ悪ぃってんだよ」

「大人になるってのは都合の言い言葉だ。すぐ諦める。希望を持たない。行動しない。『しょうがない』
『仕方ない』そんな言葉で逃げちまう。それが正当化される。…少なくとも自分の中ではな。確かに普通に考えれば
無理な事かもしれない。『常識』ってやつだな。だがそんなよく分からない『常識』ってやつを物差しにして考えて
せっかくの希望を消しちまう。本当に『仕方ない』のか?まだ『希望はある』んじゃないのか?希望を見出そうとして
もがくやつに『大人になれよ』なんて言って諦めさせていいのかよ?大人になるってのは、今そこにある自分の可能性を
否定してしまってるように俺には見えるんだよな」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

それは違うだろ、と祐一は言い返したかった。
それはあんたの勝手な思い込みだよ、と。

だが、何故か言い返せなかった。
特に男の話が理論的だというわけではなかった。
むしろ感情論的な感じがした。

だが、そんな中にも一理ある気がしたのだ。
いや、そうではなく、祐一もそうであって欲しいという気持ちがあったのかもしれない。


「なんてな。大道芸人の俺が偉そうに言うこっちゃないわな。まぁ与太話として聞いといてくれ。けどな、何か
迷う事があった時は諦めず最後まで突っ走るのもアリだと、俺は思うぜ。俺もいろんな奴を見てきたけどな、
仲間として一番頼りになる奴、敵として一番怖い奴ってのは自分の信念を貫いている奴なんだ。そういう奴が、
一番強い」

言っていることはありきたりかもしれなかった。
だが、この男の言葉には力があった。
ただの考えではなく、この男の生き様から起因しているような力強さが男の言葉には溢れていた。

力のない百の言葉は一つの心の入った言葉に敵わない。

「言霊ってやつか」

「あん?」

「いや、なんでもない。しかしわざわざなんで俺にそんなことを」

「そうだな…。例えるなら」

「例えるなら?」

「死んだシメサバの目だったからかな、お前の目が」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ん?どうした?」

(シメサバは既に死んでるだろうが。更に言えば目なんて出て来ねぇよ。こいつ、シメサバって魚がいるとでも…?)
ついついツッコミを入れる。


「いや。つまり俺が死んだ魚みたいな目をしてたってことだろ?」

「そうだ。シメサバの目だ。すげー気持ち悪くて情けないんだ、これが」

(だからシメサバに目はねぇつーの。)

「そういう目をした奴は大概ろくな事考えてないからな。説教したくなるというか…まぁ老婆心だ」

やれやれと祐一は苦笑する。
今日会った奴にさえ分かるほど、俺はまいっちまってたのか?情けない、と。

本当に、情けなかった、と。


「そろそろ俺は帰るわ。あんたの意見は参考にさせてもらう」

「おう、また御贔屓に」

男に背を向けて帰ろうとする祐一。

その肩を男が掴み、引き止めた。




「あ、おい。見物料と講釈料、しめて500円でいいぞ。仕方ねぇから負けとくよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」






祐一達が帰った後、往人に先程のサクラの少女が話掛けていた。

「ねぇ往人さん、珍しくよくしゃべってたけど、何話してたの?」

「男の話だよ」

「ふ〜ん。でも、ほんと、珍しい。往人さんが知らない人としゃべるなんて、にはは」

「うっさい。…まぁ、なんつーかな。興味深い目をしてたもんでな、つい」

「そうなの?」

「ん〜、なんつーか、人生の岐路に立ってるって目だった」

「そう。でもよかったね。ごひゃくえん〜♪これで『どろり濃厚ピーチ味』がたくさん買える♪」

「買わねーよ」

「じゃあ『げるるんジュース』」

「もっと嫌だ。だが、収穫は500円だけじゃないぞ?観鈴」

「え?なになに?」

「俺は少年が真の男になる瞬間を見ることができたのだ!」

「意味分かんない」

「分かんなくてもいい。とにかく俺は見たのだ」

「はいはい、そろそろ帰るよ〜」

そう言いながら観鈴は荷物を抱えて先に行ってしまう。

その様子を見ながら、一度往人は祐一が帰った方向を振り返り、そして呟いた。





「相沢祐一…か。なかなか面白い奴だ。…なぁ折原」


国崎往人の独り言は誰に聞かれるでもなく、ただ風に乗り、そして消えた。





           


                                 第10話へ続く