祐一の操るシャトルが滑走路を滑る。 久瀬達を降ろし、祐一はそのまま格納庫へと機体を運んだ。 その時、基地ではとある情報に大騒ぎになっていたが、その時の祐一には知る由もなかった。 しかし、今日の、これから起ころうとしている出来事こそが、『始まり』だったのだ。 ARCANA 第七話 守るべきもの シャトルを格納庫へ置き、基地に戻ってきた祐一を待っていたのは、この基地にしては珍しい喧騒だった。 そんな日常と違ういつもの場所に何か嫌な予感を抱きながら、祐一はブリーフィングルームに入る。 「あ…、相沢君」 その場にいた香里が祐一を出迎える、が、その香里もどこか様子がおかしい。 諦めと、悲しみが入り混じったような、そんな表情だった。 「おお、香里か。どうしたんだよこの騒ぎ。何かあったのか?」 祐一の質問に、さらに顔を曇らせる香里。 しかし、言い辛いことなのか、口を開こうとはしなかった。 そんな香里に、祐一の漠然とした不安は徐々に現実味を増してくる。 「お〜い、何だよ?ここにどっかの大軍が押し寄せてきてるとか?」 耐えられなくなった祐一が放った冗談に香里がビクリとする。 「え…マジで…?」 そんな祐一を見ながら暫く黙っていた香里だったが、意を決したのかついに口を開いた。 「そうね、大体そんなとこかしら。ただ、微妙に場所は違ってるわ」 「場所?ここじゃないのか。てことはトウキョウとかか?」 祐一の言葉に香里は無言で首を振り、こう続けた。 「カノンよ」 「・・・・・・え?」 香里の言葉に祐一の表情が止まる。 「あなた達がここに到着する2時間前くらいかしら。アメリアに潜伏していた外務大臣お抱えの諜報部員から連絡が入ったの。アメリアがカノンに向けて軍を発したから外務大臣が到着次第、伝えてほしいって」 香里の言葉は既に祐一の耳には入っていなかった。 香里の『カノン』という言葉で、祐一は既にパニックに陥っていたのだ。 (アメリアが?カノン?攻めてるって…。だって俺はさっきまで…!!) そう考えていた祐一はふとあることに思い当たった。 「な、香里。それおかしいって。つい数時間前に俺アメリアの軍事司令官に会ってるんだぜ?そいつがいないのに本国から軍が出せるわけないだろ?うん、やっぱおかしいって!ここより近いったって、そんなに早く帰り着くわけねぇよ」 実際、カノンを最初に離れたのは祐一達なのだ。 他のフロンティアの人間は懇親会をするとか言っていたし、そうなれば、アメリアの人間はまだ本国に帰りついてさえいない計算になる。 どう考えても軍を出す命令を、折原は出せるはずがないのだ。 「そうね。確かに司令官が帰り着いて命令を出したにしては早過ぎるわ。…でも、会議に出る前に出されていたのだとしたら?」 「・・・・・・・・・・・・・」 「平和会議のために出立する前に命令を出しておいた、とすればおかしいことは何もないわ」 「・・・・・・・・・・・・・」 「重要なのは…、実際にアメリア軍はカノンに進行してるということよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・くっ!!」 香里に背を向け走り出す祐一。 「待ちなさい!!」 祐一に向かって、香里の叫びが飛ぶ。 そう、呼び止めるとか、叱責と言うよりも叫びという形容の方が相応しいほど、香里の声は悲痛だった。 その声に祐一も足を止め、振りかえる。 「相沢君…どうするつもりなの…?」 「どうするって一つしかないだろ。カノンに行く」 「今から出て、間に合うとでも…?」 香里の言葉に、祐一は唇を噛み締める。 「…例えそうでも!!何もせずにここで待っているだけなんて!!名雪や秋子さんが危ないのに!!」 「分かってるわよ!!そんなの私だって!!でも無理なものをどうしろって言うの!?ジャポネがこの戦いに参加したと他国が知れば、それこそ戦争になるの、分かるでしょう!?名雪達もダメで、今度はジャポネまで戦火にさらされたら本当に最悪の事態になっちゃうじゃない!!」 香里とて、友人に危険が迫っているのだ。平然としていられるわけがなかった。 しかし、自分は軍事司令官であり、大局を見て判断しなければならない、公私を混同させてはならない。 香里はそういった考えの出来る少女だった。 祐一も分かってはいた。 香里が言っていることの方が100%正しい。 自分がやろうとしている事はまったくの無価値で愚かな行為になる可能性の方が非常に高い。 それでも。 「大切な人なんだ。守ってやらなくちゃいけないんだ。だから…行かなきゃ」 再び走り出そうとする祐一。 しかし祐一の目の前に現れた男が祐一を止めた。 「久瀬さん…!!」 「行くのか」 極めて簡潔に、久瀬は述べた。 無言で頷く祐一。 「…そうか。外務大臣として言わせてもらう。行くな」 またしても簡潔な言葉だった。 だが、それだけにその言葉には重みがあった。 少しだけひるんだ祐一だったが、自らを奮い立たせるために拳を強く握り締めて久瀬を見据えた。 「すまない…。でも、これは譲れない」 祐一の言葉に久瀬は短く溜息を一つついた。 「…そうか。ならば、君を知る一人の人間として言おう。……守れ」 久瀬の言葉に祐一は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに真剣な顔で頷いた。 走って行く祐一を見送りながら、香里は久瀬を睨みつけた。 「いいんですか?外務のトップが許したとあれば、この行動はジャポネの正式な軍事行動だとみなされますよ?」 「ん?だから前置きしただろう?彼を知る一人の人間として言う、と」 久瀬の白々しい弁明に香里は溜息をつく。 「どっちにしても、相沢君の機体がジャポネと判明したら、アメリアと全面戦争ですね」 「ふむ、そうなるなぁ」 あまりの白々しさに香里は不快感を隠せない。 「そうなったらどうなさるおつもりなんです」 「戦うさ。元々私はアメリアと戦うつもりでいたのだから。いいきっかけを作ってくれたよ」 そう言って静かに微笑む久瀬の姿はどこか恐ろしいものを感じさせた。 「だからって…。相沢君だって危険なのに…。こんなの、どんな価値も見出せないわ」 「確かに。物理的な価値は皆無だろう。しかし、無意味ではないよ。もしここで彼が行かなければ、彼はきっと後悔する。まぁ、行っても後悔する可能性も高いが。それでもね、何もせずに後悔するのと、何かを為して後悔するのとでは随分と違うものだ」 「・・・・・・・・・・・・」 「誰にだって大切なものくらいあるだろう?自分の存在意義に関わるほどの。私にだってある。それを守ろうとする人間に守るな、とは言えないよ」 香里にも思い当たることがあったのだろう、多少納得した顔で久瀬を見る。 「だが、軍規違反には違いないな。美坂君、相沢君が帰ってきたらしっかりと罰を与えるように」 そう言う久瀬。 本人は冗談を言ったつもりなのだろう、が、表情がまったく変わらないので冗談を言っているように見えない。 そんな久瀬に、香里は苦笑するしかなかった。 格納庫に到着した祐一はすぐさま、THE DEATHのコクピットに乗り込む。 数秒ほどして、コクピットの中が明るくなると、シオリの声が響いた。 『おはようございます。システムを起動します』 久々に聞いたからか、シオリの無機質な声は祐一を少しリラックスさせてくれた。 「シオリ、出るぞ。カノンへ行く」 『了解。予想到達時間は8時間です』 「5時間で頼む」 『了解。ただし、飛行中はバーニアに全火力を回すことになりますので戦闘行動は不可能になります。よろしいですか?』 「結構だ」 『了解。全出力をバーニアへ展開。システム、オールグリーン。前方、視界、良好。カウントダウン開始。3・・・2・・・1・・・レディ』 「行けぇーーーーーーっ!!!」 ドバウッ!! 凄まじい轟音とともに機体がカタパルトから飛び立つ。 そして、数秒後には基地から視認することの出来ない距離へと到達していた。 その頃、折原を乗せたシャトルはようやくアメリアへ到着しようとしていた。 「・・・・・・・了解。指令、第六・第七中隊共に大西洋を越え、現在ヨーロッパを横断中とのことです」 コ・パイの言葉に頷く折原。 「ふふ、さすがにどこの国も平和会議の翌日に進軍するとは思わなかっただろ」 そう言う折原を見ながら、川名みさきは少し心配そうな顔をしていた。 「でも浩平くん、アルカナ一機も出してないけど大丈夫なの?」 「大丈夫だよ先輩。カノンはアルカナを持ってないし。他国がわざわざカノンのために軍を派遣しようとはしないさ。どこも自分とこの防衛で手一杯だからね。まぁ、カノンのあの軍事力なら一日もかからないんじゃないかな?」 確かに折原の言う通りなのだ。 だが、いつもなら何事にも慎重な折原がこうも楽観していることに、川名みさきは不安を覚えていた。 「思い過ごしならいいんだけどな」 「ん?何?」 「あ、ううん、なんでもないよ」 アメリアは何故今回このような急な軍事行動を取ったのか。 折原の頭には二つのことがあった。 一つは平和の象徴であるカノンを落とすことで、一般市民レベルに今までの時代は終わったということを強く認識させる、という狙いだ。 そして二つ目。 寧ろ折原にとってはこちらの方が重要なのだが、とある『鍵』を確保することだった。 それは『ルナ』を起動するための鍵。 それが、カノンにあるという情報が先日手に入ったことが直接の原因であるといってもいい。 ことアルカナに関しては迅速に事に当たる。 これが折原のモットーであり、そのおかげで、アメリアは他国に先駆けてアルカナを保有してきたのである。 そして今回、『ルナ』の鍵を見つけることが出来れば。 「計画は順調だな…」 そう呟く折原の顔は満足そうだった。 風が線になって通り過ぎて行く。 恐ろしいまでの速さに、祐一は目を閉じたいという衝動に駆られながらもなんとか前を見つめていた。 『祐一さん、そろそろ中心市街に到着します。降下を開始します』 シオリの声にはっと我に返る。 「了解だ。ただ、市街には入らなくていい。郊外を目指してくれ。敵影はあるか?」 『中心市街の西側で白兵戦が行われているようです。現在、確認できる限りで数、60〜70機余り。一中隊程度が進行しているものと見られます』 「分かった。これからは戦闘になる可能性もあるから、準備だけはしておいてくれ」 『了解』 シオリは、戦闘が行われているであろう地域を避け、ぐるりと迂回しながら郊外へと入っていった。 暫くすると、祐一がつい数日前に立ち寄った屋敷が見えてくる。 「よかった…。取り敢えず家はまだ無事みたいだ」 祐一の呟きにシオリが反応する。 『あの青い屋根の家屋ですか』 「そうだ、傍で止めてくれ」 ブシュゥゥゥウウン…。 脚部のブースターがうなりを上げ、機体が着地する。 「よし、シオリ、ちょっと俺は降りてくるから待っててくれな」 『了解……!?祐一さん、目標の建物の屋上に人がいますが』 「何?モニターを…秋子さん!?」 何故屋上なんかにいるのか見当がつかなかった祐一だったが、とにかく無事でいることを確認できたことは幸いだった。 秋子さんが無事なら名雪もおそらく無事だろう。 後は二人を連れて逃げ出せるかが問題だ。 「秋子さん!祐一です!」 THE DEATHのスピーカーを通して秋子に呼びかける祐一。 その声に屋上の女性が反応した。 「…祐一さん、やっぱり嘘だったんですね…」 以前秋子にアルカナとの関係を問われた時、祐一が否定したことを言っているのだろう。 確かにそのことは謝らなければならないが、今はそんな状況ではない。 「秋子さん、訳は後で話します。まずはここから逃げましょう。名雪、中にいるんでしょう?連れて来て下さい。もう時間がなくて」 必死に呼びかける祐一。が、 「ごめんなさい祐一さん。それは出来ないの」 秋子の答えは祐一の予想外のものだった。 「出来ないって…え?いや、秋子さん、事態はほんとに一刻を争うんですよ…。つうか、何か今出られない訳が?」 「…そうじゃない。そうじゃないのよ。今であっても、1時間後でも、2時間後でも、私はここを動くわけにはいかないの」 秋子の、いつもと変わらぬ優しい声。だが、今日のそれはさらに決意が込められたものだった。 「ちょっ…そんな、訳分かんねぇ…。死ぬんだって!もう今は平和なカノンじゃないんだ。ここはまだ平気だけど…」 「分かっています。1時間もすれば、カノンは瓦礫しか残らない荒地と化すでしょう。でもね、祐一さん。私はここでやらなければならないことがあるの。内容をあなたに言えないのは心苦しいけれど…。だから、あなただけ、ここから去りなさい」 信じられない秋子の言葉だった。 祐一は訳が分からなくなる。 どう考えても理不尽な気がした。 「待ってください!!せめて、もう少し納得のいく説明をして下さい!!じゃないと俺…」 「祐一さん」 「は、はい!」 「あなたが今乗っているアルカナ…。合計すると22あるわね。…そのアルカナ達は各々役割というものを持っているわ。中でもそのTHE DEATHは非常に重要な役目を負っている。だから、あなたはこれからそのアルカナの宿命とも言うべきものと戦って行かなくてはならない」 (それが納得のいく説明?ていうか、秋子さん、何でそんなにアルカナに詳しいんだよ?) 祐一の混乱はさらに深まって行く。 「…ごめんなさい…。あなた達にだけは、あなた達だけは、巻き込むことのないよう気を配ってきたつもりだったのだけれど…。でも、もう後悔しても遅い。だから…祐一さん、お願い、強く生きてね」 そう言って秋子は家の中へ入っていこうとする。 「ちょっと待ったっ!!秋子さん!あなたは一体…!?」 振り向いた秋子は寂しそうにふっと笑い、 「祐一さん、アルカナって…そういう機械だけを指すわけではないのよ」 そう言うと、そのまま家の中に消えた。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」 突然の言葉に声が出ない祐一。 しかし、今は止まっている場合ではない。 秋子と名雪を連れてここから脱出する。 その目的を、目前まできて諦め、ホイホイ帰れるものか。 「おいシオリ、ちょっと行って来る。留守頼んだ!!」 『祐一さん!待ってください、敵影です!あ、ミサイル掃射。来ます!!』 「チィッ!!今構ってる暇ないんだよ!!出直して来い!!」 『着弾まで約10秒、グラビティフィールドを展開します。…あぁ祐一さん、一度コクピットに戻って下さいよっ!』 THE DEATHに着弾するはずだったミサイルは、その数メートル手前で爆発する。 グラビティフィールド、と、シオリが呼んだもののおかげのようだ。 (特殊なシールドか何かか…?・・・・・・・・っ!!) それでもミサイルによる爆風が祐一の体を押し上げ、降りようとしていた祐一をコクピットへ押し戻す。 そして。 コクピットの中に転げ落ちていた祐一が頭を上げた時。 祐一の眼前が閃光で染まった。 今までそこにあった家。 従姉妹と、その叔母の住んでいた家が。 あるいは吹き飛び。 あるいは燃え盛り。 一瞬のうちに、無惨な姿へと変わり果てていた。 「な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 掃射されたミサイルの一つが、パイロットの腕が悪かったのか、祐一の機体から逸れ、隣の家屋に当たった。 ありがちな戦争の一場面だ。 だがこの瞬間に、祐一の中の、何かが音を立てて崩れた。 『祐一さん、戦闘行動を開始します。コクピットへしっかりと着席して下さい。…祐一さん?』 「・・・・・・・・・・・・・く・・・・・・・・・・・・く・・・・・・・・・」 泣いているのか、それとも、笑ってるのか? 祐一は俯いたまま、シオリの言葉に反応を示さない。 『祐一さ・・・・・!!』 「・・・・・・・・・お前等・・・・・・・・ミナゴロシダァーッ!!!!」 祐一の叫びにシオリは何かを感じる。 それは、システムの重要なプログラムに起因する、何かだった。 『!!・・・・・・・搭乗者の脳波がプログラムされた特定の波形と一致。システム移行。ベルセルクモードを起動します』 祐一の慟哭とシオリの無機質な声。 警報機により赤く染まったコクピット。 数秒後。 祐一達と対峙していたアメリア兵達の前に、死神が現れた。 第8話へ続く |