目覚めは悪くなかった。

まるで昨日の事が夢なんじゃないかというくらい、穏やかな、いつもの朝だった。

(いや、やっぱり夢だったんじゃないか…?)

しかし、そんな祐一の淡い希望は、けたたましく鳴った一本の電話で打ち砕かれることになる。




                            ARCANA  
                        第四話      戦争と平和      




まだ覚めやらぬ目を擦りながら、祐一は司令室へと続く廊下を歩いていた。

その表情は心なしか沈んでいる。

まぁ、朝一番の電話が司令室への呼び出しでは気持ちも沈もう。

(絶対昨日の説教の続きだよ…。てか、ありゃ不可抗力だと思うんだがなぁ…)

まぁ、取り敢えずサクサク謝っとくか、と一人ごちて祐一は司令室の扉を開けた。


「相沢君、入室の際はノックをしろといつも言っているでしょう?」

いきなりの先制パンチに祐一はしかめっ面で返した。
別に知らない間柄じゃなし、別に問題はないだろうに、というのが祐一の気持ちだ。

が。
今日はいつもと違っていた。

見知らぬ顔の男が二人、香里に対面する形でソファに座っている。
一人は50代前半といったところ、もう一人は祐一とさして変わらぬ年頃だ。

実のところ、一人は見知らぬ、という訳ではなかった。
だが、こんな僻地に彼がいるというのは珍しい、というかありえないことだ。

何故なら彼は…


「相沢君、そんなところでボーッとしてないで、こっち来て座りなさい」

祐一の思考を、香里の言葉が分断する。
しかし、いつも以上に厳しい顔の香里を見て、これは逆らわない方がいい、と香里の隣に座ることにした。


「君が相沢君かね」

年配の男が祐一を見る。


尊大な男だ。
瞬時に祐一はそう感じた。
態度から言葉から、人を見下している、といったオーラが窺える。
自分の最も苦手なタイプだ、と祐一は思った。

(こういう男に限って、いざという時に度胸がないんだよな)


「全く…。とんでもないことをしてくれたものだな君は」

昨日の件か、と理解しつつも、入ってきたばかりの人間に何の説明もなくいきなり非難の言葉とは一体何事か。

(やっぱりこいつ、嫌いだ)

そう思うことで、祐一のこの男に対する態度は決まった。

「とんでもないこと、ですか…?」

「なんだ君は。自分のやったことが分かってないのか?君のしたことのせいで我が国は世界各国から
危険視されとるんだぞ!?アメリア何ぞは君が奪取した機体を引き渡せ、とまで言って来とるし…。
我々の仕事を増やしておいて、なんとも呑気な顔をしとるな君は」

因みにアメリア、とは北アメリカ大陸全体を支配するフロンティアのことだ。
積極的に軍事に投資し、世界のリーダーを自称している。

また、この場で『国』とはフロンティアの事を差すが、旧世紀からのなごりでフロンティアを国と称する者は意外と多い。

「だからあれは不可抗力だったって言ってるでしょうが。大体渡せつってるならさっさと渡しちまえばいいでしょうが」

「相沢君、言葉が悪いわよ。仮にも外務大臣の前で」

香里がたしなめる。


こいつ外務大臣だったのか、そういやテレビで見たことあんな、とか思いながらも、嫌いになった相手に祐一は容赦ない。

「これは失礼。ですが今申し上げたように、アメリアさんにささっと渡して終わりにしましょうや。はいこれにて一件落着」

全然分かってねぇなこいつ、といった表情で睨む香里だが、祐一は意に介さない。
くどいようだが嫌いな人間には容赦ないのだ。

そんな祐一に、外務大臣はバカにしたような目を向ける。

「これだから素人は困るな。アメリアに機体を引き渡してみろ。世界は我が国がアメリアと繋がっていると見るよ。
我が国はこれまで中立を保ってきたが故に今の平和があるというに。言っておくが。アメリアと対立する国はごまんと
いるのだ。お隣のエイジアなんかもな。君はこの国を焼け野原にしたいのか?」

エイジア、とはアジア地域の小さなフロンティアが多数集まって出来た地域連合のことだ。
その面積は世界で最も広く、人口も最も多い。
最近は経済統合も進んでおり、今、最も発展しているフロンティアと言ってよい。




外務大臣と祐一の押し問答は暫く続いたが、決着はつかず仕舞いに終わった。

まぁ、それも当然である、両者に歩み寄る気持ちが欠片もないのだから。

しかし祐一は、確かにこの大臣はいけ好かないが、言っている事は正しいと思っていた。
理由はどうあれ、自分のしたことがこの国に危機を呼んだ事は紛れもない事実なのだから。






結局、これ以上情報は漏らさぬよう戒厳令をしく、という意味が在るのかないのか分からない合意を得て、
この会談は終了した。

それでは、と司令室を出て行こうとしていた二人だったが、若い男の方が突如振り向いた。

「相沢君、悪いがこの後少し時間を頂けるかな?」

そう言う男を祐一は不審に思いながらも、特に用事がないこともあり承諾した。

「では後で…」

そう言いながら、男二人は今度こそ司令室を出て行った。









司令室を出てすぐの小会議室に男はいた。

「すまなかったね、時間を取らせてしまって」

「別に。しかし、まさかあんたがこんな僻地にやって来るとはね、久瀬サン」

「フン、国家の大事とあればどこにだって顔を出すさ。…ああ、座ってくれ」

二人は対面する形でテーブルに付く。

「まぁ先程の話で我が国の現状は大体掴んでくれたと思うが…」

「悪いな、面倒かけて」

「いや。さっきの君の言葉ではないが、私はそれ程難しい問題だとは思っていない。まぁ君の言うようにささっと片付く問題でないのは確かだが…」

「でもさっきのおっさんは大変そうなこと言ってたじゃねぇか」

多少苛付きを覚えながら祐一は言葉を返す。
久瀬が何を言わんとしているのかがいまいち読めない。
そういった意味で、祐一にとって婉曲的な話し方をする久瀬は苦手な部類に含まれる人間だった。
自分がそうなのか、思考回路が単純な人間の方が祐一の好みに合う。

「アレは自らの保身しか考えんような俗物だからな。ああいった手合いが外務大臣などという要職に就いているのだから部下としても頭が痛いよ。まぁ、この国のレベルも推して知るべしといったところか。ああすまん、少し愚痴っぽくなってしまったな」

「前置きはそれくらいにしといてくれ。そんな事を言うために俺を呼んだわけじゃないんだろう?本題の方を聞きたいね」

さすがに祐一にとって我慢の限界だった。
あまり堪え性がないのは祐一の欠点だと言えるだろう。


「フム…。相沢君、今のジャポネをどう思う」

突然の質問に面食らう祐一。

「どうって…。いいんじゃねぇか?平和で」

正直に感想を述べる。

「平和、か。確かにな。表面上は武力衝突もなく世界のどのフロンティアとも組せず、国民は安心して暮らしている」

久瀬の言う通りだ、と祐一は思う。
国民は戦火にさらされることもなく、平穏に暮らしている。非常にいいことじゃないか。

しかし、久瀬の言い回しはどうやらそれを否定するもののようだ。

「しかし、だ。それは非常に危うい均衡の上に成り立っているものだということを忘れてはいけない。アメリア、キャンベール、ユーロ、ブリテン、エイジアなど…。それらのフロンティアの力が拮抗していたからこそ、成り立っていた平和だ。我が国は、丁度それらの強国の中間に位置し、どの国も手を出しにくかったからな」

祐一は黙って久瀬を促す。

「さらに、我が国は取り立てて軍事資源が豊富、というわけでもなかったし、更には傘下にしたところで、大した軍事力も持っていないからな。メリットとデメリットを考慮した上で、どこの国も興味を持たなかった。それが、それだけが我が国が平和でいられた理由だ」

「なるほど、確かにそうかもしれん。しかし、結果として平和が保たれているならそれでいいと思うがな」

理由などどうでもいいのだ、平和である、それが全てだろうが、と祐一は思う。

「そうだ。平和であり続けるのなら、それでもいいのかもしれん。しかし、そういう時代は終わった。君は知らないだろうが、実は今、今までの勢力均衡を破ろうとしているフロンティアがある」


「アメリアか」

祐一の答えに少々驚いた、という顔をする久瀬。

「そうだ。よく分かったな」

「そんなことするのはアメリアさんくらいでしょうが。で、何か?世界征服でもしようってか」

冗談めかして言った祐一だったが、久瀬はこれ以上ないと言ったほど真剣な顔で頷いた。

「世界征服、というのとは少し違うが。彼らは人類を粛清しようとしている。手段は分からんがな」

粛清とはまた大それた事を考えたものだ。

「開いた口が塞がらんどころか、顎が地面に突き刺さるな」

「確かに10人聞けば9人が笑い飛ばす話かもしれん。しかし彼らは本気だ。彼らの考えとしてはこうだ。『以前の経験で
戦争は身を滅ぼす物だと知りながら武器を取ることを止めず、あまつさえ環境破壊などで我等の母なる地球を傷つける、その所業は許しがたいものである。よって、それらを行う人間達を排除し、自然と共存できる新しい思考を持った人間のみによって新時代を切り開く』というものだ。意外に言っている事は的を得ているだろう?」

「まぁ言ってる事は正しいのかもしれんがよ。選民思想だろ、まるで宗教だよな、ソレ。それに自分たちが進んで武器取ってるっちうねん。矛盾バリバリだよな」


どんな正義を振りかざしたとて、暴力は所詮、暴力に過ぎないのだ。


「だが彼らは止まらん。予ねてから軍事に力を入れている国だったが、ここ最近、それに一層拍車がかかっている。特筆すべきは彼らはナイトメア…正式にはアルカナだそうだな。それの発掘に異常なほど力を注いでいる」


「ご苦労なこったな。そんなの森の中で一匹の蟻を見つけるようなもんだぜ?」

「だが結果を出している。相沢君、君の記憶では世界各国のナイトメアの保有数はどうなっている?」

そう言われて祐一はあまり確かではない記憶を辿る。

「ええと…、確かブリテンが二機。で、キャンベールも二機だよな。で、ユーロとエイジアが一機ずつ。アメリアも一機だったと記憶しているが?」

「その通りだ、なかなか優秀だな。しかし現在、アメリアは既に三機を加えている。計四機だな。これによって各国の力関係は大きく変わってしまったわけだ」

「四機だと…!?」

ナイトメアの力は、通常の戦闘機の100機にも、1000機にも匹敵するといわれている。なにしろ、戦場でナイトメアを墜とした機体はいないのだ。よって、ナイトメアを倒せるのはナイトメアだけであり、つまりはナイトメアの保有数がその国の軍事力に直結しているのである。

「そしてさらに君の機体が発見された。世界各国が喉から手が出るほど欲しがっている。そのためには武力行使も辞さないというところも出てくるだろう、アメリアがそうであるようにな」

「結局は俺のやったことも原因になってんだな…。でも結局どうするんだ?今までの話を聞いてると、寸分の狂いもなく絶望的な気がするんですけど」

祐一の頭では、打つ手無し、という風に感じる。

「簡単なことだ、我々も世界各国と同じように軍事力を増強し、武力によって諸国と渡り合う。それで世界の軍事的均衡を調整すればいい」

「はっはっはっ!!おいおい、こんな時に冗談言われても困るって」

「冗談ではない」

久瀬はあくまで真剣だった。

「冗談ではない、って…。大体、あのビビリっぽい親父がそんなこと出来るわけないだろうが。外務大臣て軍の統帥権もあるんだろう?あのおっさんじゃ無理だよ」

「確かにアレでは無理だろうな」

「じゃ、無理じゃねぇか」

「彼は数日中に外務大臣ではなくなる」


「……は?」

罷免されるのか?と思ったが、久瀬の言葉はどうも嫌な予感を感じさせる。

「…どういう意味だよ」

嫌な予感を振り払うかのように久瀬に質問する。


「…言葉通りだ。まぁこの話はいい。しかし、これだけは覚えておいて欲しい。今私が言った事は、現実に起こりうるということを」


「・・・・・・・」

祐一は応えない。

しばらく重苦しい沈黙が続いた後、祐一が口を開いた。

「最後に一つ質問だ。何故俺にこんなことを話す?」

「フン、当然だ。軍事力といっても中心になるのは結局ナイトメアになる。あれはパイロットの乗換えが出来ないと聞いた。システムは私には分からんがね。だとすれば、軍の中心は嫌でも君ということになるだろう?ならば最初に伝えておかなければな、と思ったまでだ」



この男は本気だ。
本気でジャポネを軍事国にしようとしている。
祐一はそれに危機感を持った。
が、彼の行おうとしていることが間違っているのかどうか、『そうだ、間違っている』とは断言できなかった。



「では最後に私からも一言言わせてもらおう。相沢君、歴史を変えていくには血で贖わなければならない時もあるのだ。…では、これで私は失礼する」


そう言って久瀬は去った。

残された祐一は、何も言えず、そこから動く事が出来なかった。














数日後、臨時ニュースが流された。

テレビの中のアナウンサーの慌てぶりから、その事件の重大さが窺い知れる。


『昨夜未明、○○外務大臣が帰宅途中、何者かに発砲され、死亡するという事件が発生しました!現在犯人はまだ見つかっておりません。後任には、外務大臣補佐官の久瀬氏が着任するということです。繰り返しお伝えします。昨夜未明…』



そのニュースを聞きながら、祐一は久瀬が最後に残した言葉を思い出していた。





『歴史を変えるには血で贖わなければならない時があるのだ』













時代は今、静かに、だが確実に動き出していた。













                                  第五話へ