機体の破片が海に落ちていく。

その様をしばらくの間呆然と眺めていた祐一だったが、漸く我に返った。

そして、我に返ると同時に襲ってくる、激しい罪悪感と嫌悪感。

(殺した!?…俺が…人をかっ!)

初めて人を殺したという実感が、大きなプレッシャーとなって祐一を襲う。

「オエッ…」

たまらず嘔吐しそうになるが、操縦桿を強く握り締めて必死にこらえた。

『大丈夫ですか?』

シオリの声にも反応しない。

しばらく無言の祐一だったが、やっとのことで口を開いた。

「…帰るぞ」

祐一の声とともに機体は進行方向を変え、動き出した。




                    ARCANA
                    第三話   ”ルナ”




「シオリ」

唐突な祐一の呼びかけに、不思議そうな声をするシオリ。

『どうしました?祐一さん』

「さっきの奴が言ってたこと、どういう意味だ?お前なら何か知ってるんじゃないのか?」

知りたいような、知りたくないような気持ちの祐一だったが、シオリの言葉は祐一の期待を裏切るものだった。


『いえ、私にも分かりませんでした。まだ、この機体に関する全ての情報を理解しているわけではありませんので」

シオリの言葉に祐一は何か引っかかるものを感じた。

「まだ、ってのはどういう意味だ?何か今後必ず分かるみたいな言い方だけど」

『私のメモリーチップの中にはセキュリティがかかっていて開けられないものがあるんです。その中に
さっきの疑問の答えがあってもおかしくはないですから』

「じゃ、今開けろ。セキュリティなんてお前の腕にかかりゃあっちゅうまだろ?」

祐一の無責任な言葉にシオリは戸惑ったような声を出す。

『無理ですよ。私のプログラム解析能力を遥かに超えたセキュリティですから。それに、どうやら何か外部からの
操作がないと開かないようです』

「外部からの操作ぁ?」

『はい。例えば何らかのキーワードを入力するとか…。とにかく、今は無理、ということです』

釈然としない様子で考え込む祐一。



「まぁ、いいや。それじゃ別の質問だ」

『え…?あ、は、はい』

あまりに唐突に話を変える祐一にシオリはついていけないといった感じだ。

「お前さぁ、自分のことを”アルカナ”っつったろ?それ、何?」

しばらく無言のシオリ。どうやら話すかどうか逡巡しているようだ。


しかし、結局話し出す。

『祐一さんは”ルナ計画”をご存知ですか?』

「何だそれ?」

当然の如くというか、祐一には聞き覚えのない単語だった。

「現在から約1500年以上前になりますが、当時国際社会を統率していた国際連合という組織が開発した、
アルベド調節システム搭載型人工衛星。それがルナ、です』

「あ、あるべどって?」

さらに理解不能な単語の登場で、祐一の頭は混乱の境地に達しようとしていた。

『アルベドというのは地球反射率、つまり…。祐一さん、もう理解しなくていいですから納得だけしていて下さい』

まるでポンコツロボットの如くに頭から湯気を吹き出す祐一を見て祐一に理解してもらうことは諦めたシオリだったが
説明は止めたくないらしい。祐一にとって拷問とも言える講釈が続く。

『アルベドとは地球反射率のことで、これを調節することにより、地球に入ってくる熱量の調節が可能となります。
当時、断続的に続いていた武力闘争によって地球は一時的に寒冷化しており、プチ氷河期と言える状況だったんです。
そのため、地球反射率を下げることによって、地球に入ってくる熱量を上げ、温暖化を図ったのが通称、”ルナ計画”
と呼ばれるものです。ここまで、よろしいですか?』

シオリの言葉に、鷹揚に手を振ることで答える祐一。

もうどうにでもしてくれといった感じだ。

しかし、祐一が理解していると勘違いしたのか、完全に諦めたのか、シオリの説明は続く。

『しかし、このルナ計画は一つの危険性を秘めていました。祐一さん、それが何だかお分かり…まぁ、いいです。
地球反射率を下げるということは、熱を伝える赤外線以外のものも入ってくることになる、ということです。
例えば…紫外線とか。この意味くらいは、分かりますよね?』

半ば懇願するようなシオリの声だったが、さすがに祐一にもその意味は理解できた。

「そうなったら地球の人間みんなそろって皮膚ガンでお陀仏だわな」

『それどころじゃありませんよ。地球反射率ゼロパーセントなんかにしてしまったら、全身火膨れです』

シオリの言葉から何かを想像した祐一はまた吐きそうになって、オエオエ言っている。

『当然そうならないよう、地球の軌道上に配置されたルナたちを管理、制御するマザーが月にありました。
ルナの名は、マザーが月に建設されたことから付けられたそうです』

自分の妄想からやっと抜け出した祐一は、うんざりした顔でシオリに聞いた。


「あのさぁ、そろそろ俺の質問に答えて終わりにしない?結局、お前らは、何なんだ!」


『今から言おうとしていたところです。そんな危険性を持ったシステムはテロ組織の格好の的なわけです。
いつの時代もテロ組織というのは存在しますが、当時はテロ組織が一つの武力国家といえるほど強大に
なっていましたので、国際連合としてもしっかりとした対策を講じる必要がありました。そうして開発されたのが
私達、アルカナというわけです』

「つまり、お前らはそのルナのボディガードみたいなもんだったわけだ」

『まぁ、そのようなものです』

(それだけのために…これだけの説明かよ…ただの話し好きなネーチャンじゃねぇか)

大げさな溜息とともに脱力感が祐一を襲う。


『でも、私たちが稼動を始めたということは、ルナも…』

「あん?何か言った?」

『いえ、なんでもありません。そろそろ目的地に到着のようですよ』


何か隠そうとしたな、と思った祐一だったが敢えて聞かなかった。重要なことであればシオリからいずれ
話してくれるだろうし、なにより…

(疲れた(汗)今はもう説明されんのやだ)



そう考えているうちにも、今朝祐一が飛び立った基地が近づいてくる。



しかし、呑気な祐一たちとは違い、基地の中は大騒ぎだった。



「何なんだ!?あの機体は!敵襲か!?」

「それにしちゃあ堂々とやって来過ぎじゃないですか?あれじゃ戦略も何もあったもんじゃない」

「大体ジャポネ、いやどのフロンティアでもあんな機体を制式採用したなんて話は聞いたことないぞ!?」

「じゃ、ありゃ何なんです!?」

蜂の巣を突いたような騒ぎとはこのことを言うのだろうが、平和だったとはいえ、この混乱は軍として
失格と言える醜態である。

統率というものが全くといっていいほどとれていないように見えた。が、


「落ち着きなさい!」

凛とした声が響き渡り、あれほど騒がしかったブリーフィングルームが一瞬にして静まり返る。

彼らの視線の先には一人の少女が立っていた。


「ここでパニックになったところで何も変わらないわ。それより、その機体のパイロットとコンタクトはとったの?」

鋭い視線をまわりに向ける。

その視線をもろに受けてしまった男が、しどろもどろになりながら答える。

「いえ、まだですが…。でもあんな機体に乗っているパイロットが応答してくるとはとても…」

「やってみなければ分からないでしょう!?何もせずに見ているなんて最低の行為だわ。…管制塔に連絡して。
私がコンタクトを取る」

それだけ言うと少女は踵を返し、部屋を出て行った。



カツカツと廊下に靴音を響かせながら管制塔へと向かう少女。その足音が彼女の苛立ちをよく表していた。

彼女の名は美坂香里。若干17歳にしてこの基地の司令官を任された才女である。

「何なのよ今日は…。相沢君が定時になっても帰らないと思ったら次は正体不明の機体…?厄日かしら」

足早に歩く香里を一人の少年が小走りで追いかける。

ぶつぶつと呟きながら歩く香里に追いつき、並んで歩くが、考え込んでいる香里は気付く様子もない。

「おい、みさ…」

「相沢のアホッ!!」

「うおっ(汗)」

「きゃっ!」

呼びかけようとした少年が香里の声に驚き声を上げるが、香里もまたその少年の声に驚いたらしい。


自分の行為が恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめながら香里が少年に話し掛ける。

「…何か用なの?北川君」

「あ、いや…。謎の機体が攻めて来たって聞いたからさ、どうすんのかなって思って」

香里に呼ばれた少年、北川潤は、やはり今までの男達と同じように気圧されしたように答える。

「襲撃に来たかはまだ分からないわ」

「へ?そうなの?」

「今からそれを確かめに行くの。そんなことよりあんたは攻められたときに備えて戦闘準備しとく!」

シッシッと、犬を追い払うように北川を追い立てる香里。

「わ、分かってるって!攻められた時は俺に任せろ!」

頼もしい言葉を残して去っていく北川を見て、香里は溜息をつく。

「はぁ。ガンダム見て思わず彼をパイロットにしちゃったけど…。角があるからって戦闘能力が高いとは言えない
のねぇ。戦闘がないことを祈るわ」

一生の不覚とばかりに首を横に振る香里。

事実、北川のパイロットとしての適正数値は、全パイロット候補生の中で最低だった。





「おい、シオリ。そろそろ着陸態勢に入るぞ」

『それは構いませんけど…。祐一さん、何か基地の様子がおかしくないですか?』

基地の微妙な空気に気が付いたシオリが祐一に問いかけるが、一刻も早く帰って寝たい祐一には
どうでもいいことに感じられた。

「別にぃ?普通じゃねーの?」

『んーでも何かちょっと…。あ、祐一さん通信です』

「繋いでくれ」

シオリの了解という声とともにモニターが開く。

「私は極東第7支部司令官、美坂香里という者です。現在、貴殿の搭乗する機体は我々の管轄空域を飛行しています。
飛行理由をご説明頂き…って、相沢君!?」

「よぉ、香里」

基地の状況を知る由もない祐一は呑気に応える。

「……」

「おい。香里?」

それが香里のが逆鱗に触れるとも知らずに。


「このドアホッ!!あんたのせいでこっちがどうなったと思ってんのよっ!!!」



THE DEATHのスピーカーを通して、香里の絶叫が辺りの空域に響き渡った。





…上空と基地の中で、合わせて5時間の説教を香里から食らった祐一はげっそりとした表情で自分の部屋に戻って来た。


「うぐぅ。撃墜されるわ、吐きまくるわ、説教食らうわ…。今日は厄日かよ?」

憔悴しきった顔で部屋に入ると、そのままベッドに倒れこんだ。


そして、そのまま眠りにつく。




朝起きたときには、今日の出来事が夢であったということを願って。